PIPI Room
 
犬 種  マルチーズ
性 別  男の子
好きな物 納豆・雑煮のお餅・食べ物なら何でも好き
嫌いな物 こんにゃく・きゅうり・注射
得意技  抱っこ上手・両手で頂戴頂戴ができる

PIPIは、私が中学1年生の時にやってきた。変な咳をする為、医者に行くと、この子は心臓が悪い為長生きしないよ。と言われた。短い命なら好きな物を食べさせ、好きな事をやらせてあげよう、、と思ったのが間違いだった。彼はその後18歳まで生きてくれたのでした...お陰で人間食の味を覚え、かなりいやしく、わがままになってしまった。そんな彼の可愛いしぐさは、抱っこして「もたもたしてねんねんよ〜」と言うと、もたれかけて寝ていました。人の話は首をかしげながら良く聞き、かなりの言葉を理解していました。そんな彼は逆切れもする。トイレをミスした時「あ〜っ」と言うとまるで「俺じゃないぞ」と言わんばかりに怒る。誰かがオナラをすると、彼は急いで匂いを嗅ぎに来る。許せないぐらいに臭かったのか、彼は自分で嗅ぎに来たくせに、その人のお尻に噛みついた。もっと怒りにふれた場合、彼は1度ガウがウ怒って落ち着き、立ち去ろうとするが、「やっぱゆるせん〜」と言う感じで戻ってきて怒る変なやつでした。誰かが私を叩くまねをしたり、触れるだけでもすごい勢いで怒り、追い払おうとしてくれた。お陰で私は肩もみやマッサージをして貰う事が許されなかった。いつもいつも一緒にいてくれたPIPIと1年間だけお別れをした。私が結婚をしたから。でも、すぐ解消された。実家の都合で私が引き取る事になった。引っ越して来てもすぐ馴染み、反対に旦那へ「なぜ、いつまでもいるんだ?お前は早く帰れよ」という態度でいました。本当にわがままで、夜更かしすると「早く電気消して寝ろ!」と電気を消すまで吠える。寝る場所が違えば、「いつもと違うだろ」と元に戻るまで吠える。いつでも俺様だった。15年目頃にはお医者様から食事制限を言い渡された。それからは私達もかなり我慢しなければいけなかった。吠えさせたり、興奮させたりする事を避けなければいけないので、まず目の前で食事が出来ない。ほとんどが外食となる。もしくは、お風呂場で隠れてこそこそと食べていた。彼の咳もひどくなって来た頃、いつも私は仕事をしていたが、ある日突然、腰を痛めて家で過ごす事になった。同時に私の愛車も壊れた。まるで、どこにも行くな。家に居ろと、、、毎晩寝ている姿をみては涙を流し、朝起きては声も掛けないでそっと体に触れて心臓の音を確かめていた。皆が言った。「覚悟しないと、、」どうやったら覚悟って出来るのだろう。何度も何度も死の直前を想像すればいいのか?これがさだめだと割り切ればいいのか?実際はそんなもの何も役にたたない。後悔は1日前。あまりに調子が悪いので、病院に入院させた。もうだめだと分かっているのなら、家でゆっくりさせた方が良かったのか、、、次の日急いで迎えに行った。驚くほど舌が真っ白になっていて、今日が最後だと思った。こんなに長生きしたのだから、苦しいのならもう眠ってもいいよ。でも、やっぱり何とか助けたい、、、ぐるぐると考えが回っていた。そんな事お構いなしの彼。何も食べてないからおかゆなら大丈夫と言われたのであげてみた。さっきまでぐったりしていたのにご飯をみるとがっついて食べていました。それから1時間後ぐらいに様子がおかしくなり、近所にいた旦那を呼びそれからゆっくりと辺りを見渡して、彼は逝きました。苦しかった、、、悲しいと言うよりも、何と言い表せばいいのか、自分が壊れそうだった。心をむしり取られた気分だった。それからはあまり覚えていないが、まだ心臓が動いている気がして急いで病院に運びました。夜中だというのに沢山の先生方が待機してくれていました。先生から渡されたのは可愛いお星様が一杯書いてある青色の箱に入ったぴっちゅん。まだ暖かくて眠っているかのようでした。本当に長い間一緒にいたPIPI。旦那よりも長い付き合い。私の1部。悲しみは薄れてきましたが、いつでも一瞬にしてあの場面が浮かんできて胸が痛くなる。でも、18年と長い長い年月には沢山いい思い出があります。今でも側に居るかのように旦那と彼の笑い話をしています。何が良くてなにが悪いのか良く分からないけど、PIPIは予防注射とかしていなかったし、病院も15歳頃から通っていた。人間食ばかり食べて育ち、今のペット事情から考えると駄目な事ばかりしてきた。これだけ長生きするとは思えなかった。これから迎えるPUFFには、為になる事は精一杯してあげたい。そしていつも心の中に生きているPIPIと同様、我が子同然に愛してあげたい。妹のPUFFと私達を天国から美味しい物を食べながら、ちゃんと見守っててね。大好きなPIPI。沢山の思い出を本当にありがとう!